Looking for a Sense of Authenticity

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

人と会いたい、がエネルギー値が低いので迷惑かなと思ってしまうこの頃

主夫業はエネルギー値が低い。いや、家事育児でいろいろとやる必要があってエネルギーを発揮しなくてはならないから低いというわけではないのだが、処理を超えて自分から物事に能動的になるのが難しいのかもしれないと思った。

今日は久しぶりにid:knagayamaと会えた。最近はご無沙汰なので久しぶりに会えるのが嬉しく妻にお願いして外出した。1時間ばかりお茶。仕事や日常生活のことなどをあれこれ話した、のだが、俺のエネルギー値が低いのであまり話しも弾まなかったかなと。なんだか申し訳ない気がした。日常いろいろあっても、刺激が少ないので、仕事をバリバリしている人と会ってもなかなか話題もなかったりするのだった。特に業務日のランチとか休憩中に会うと。土日ならまあ少しモードも違うのかなとは思うが。

最近、少しずつ人に会うようにし始めた。id:mtakano氏もそうだし、会社の人とか広告ロスジェネとやったホムパとかもそう。明後日はキャリア論の先生に会ったりする。来週は文春だ。ほっとくと誰にも会わないだろうなあと思うからそうしてきた。だが、会ったら会ったであまり話すこともない。まったりし過ぎていてエネルギー値が低い自分を自覚したりする。意欲が減退したのだろう。

育休開始から半年はいろいろと身につける必要もあり、料理やら家事やらノウハウやら、そこに時間をもらって受験勉強もしていた。だが、秋口に受験失敗してからは意欲が一気に減退して不全感とか無力感が高まるようになった。それが今まで続いている。多少、上向いてきたようにも思うのだが、日常業務以外に対象がないことに行き詰まりを感じてきたのだろうと思う。とはいえ、あまり仕事を再開したいと思えないのが苦痛ではある。きっと世の中の主婦のなかでもこういう悩みはあるだろう。仕事は別にしたくないけど、家庭だけというのもね、みたいな。時間の質が違うのだ。

ワークライフバランスは労働者の概念であり都市的な(urbanな)ものというように思う。もっと仕事と渾然となったようなワークライフインテグレーションが望ましいのだろう、が、高度化するホワイトカラーの仕事は単に仕事依存のワーカホリックと変わらないと思う。経営者は畢竟インテグレートしたものにならざるを得ないが、労働者でそういうことは高プロでもない限りなじまない。(名ばかり高プロはもっとなじまない感がある)
まあ、農家とか地元コミュニティの中でのコミュニティビジネスみたいなものがもっと望ましいワークライフインテグレーションなのだろうが、そうもいかぬ。話が広がり過ぎてきたが、バランスよく楽しく生活するというのは少なくとも今の自分には難しいことで、それで不全感がぬぐえぬということは今日の貴重なミーティングでも感じたことだった。ま、予感はしていた。けど、もう少し時間ときっかけは必要だろうとも思う。あと、秋冬はそんなもんとも思う。生命体だもの、冬眠の時期なのさ。

でも、多動性悪くないの成毛本を読んで、なんだかエネルギーが少し出た気がしたのでメモしておこう。ADHD的な人のほうがこれからはいいかもね、という半自伝本だった。俺にも多動性の傾向は少しはあるけど、悪しき県民性としている忖度力が高いので、勝手にやりたい気持ちとまとめたい気持ちの板挟みで本当にめんどうくさい。なんとかしたい。でもどうせ毎回こういうことになるので、いっそもっと勝手にやれたらいいのかなと思い始めた。自分でブレーキかけてしまうのだけはもう少しなんとかしたいものだと思う。衝動に任せて書いたら結構長くなった。