Looking for a Sense of Authenticity

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

旧知の存在からもらった感情の揺れを忘れたくない

元気なようで良かった。
大切な人たちと面白い良いサイクルをうんでいくスタートラインに立っているようで、羨ましい気持ちも湧いた。

彼自身はクリエイターでないかもしれないが、クリエイターにとっての素晴らしい伴奏者であり支援者。根っからの編集者でありプロデューサーなのだろう。

彼を見ていると、多少は人の支援者としての適性をもつ存在と位置づけていた自分だけど、私は単なる評論家であったのだなと実感する。リスクを取りきれず、ただそのように見えるだけの道を進んできたのだと。

「サバイブ」のためにあれこれと蛇行して進んできたが、そのために自分の中の「面白がる」才能を置いてけぼりにしてしまってきたのだなという後悔も湧く。

あまりここで、でも自分は別の道を歩んでいく、と書き出す気にもなれない。
自分には挑んでいきたい道が未だ見えないから。日々、試行錯誤しているけれども。

羨ましがるのは筋違いで、特別な場所に立っているのは、挑んできた人の権利だろう。

でも、少なくとも旧知の彼に刺激を受けたことは、忘れずに記しておきたい。

長期でとった育休も残りが見えてきた。深く味わってきた期間もあったし、今はちょっといまひとつ時間を大切にしきれていない時でもある。

モードがカルチャーモードでもあるし、自分にとっての滋養となる文学や映画を、味わいきる時間を少しつくっていこうと思う。

消費から離れたつもりで、でもかたちを変えただけの消費が続いていた、ということなのかもしれない、と自覚した。

岡本太郎ではないけれど、命を燃やして生きられていなかったし、今もそうだな。
そう思える瞬間を少しでも積み上げたい。
そう感じてもらいたい存在も、昔と違って今は存在しているから。