Looking for a Sense of Authenticity

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

橘玲のツイート覚書より

最近、好きな橘氏による日本人の仕事へのモチベーションなんて全くないのにね、論がさかんなので、なかでもクリティカルなやつを貼っておこう。いつも指針にしてます。



まあそうだよね。
ロッシェルカップだかが、書籍で書いてたことだけど。

しかし、企業共同体構成員からの考察なんて、バイアスだし、その反対もそうで。橘とかカップとか門外漢だったり外様だったりしないと、御用の経営学者は企業の生産性を高めるとかコミューナルなものすら生産性向上に寄与しますみたいなmeritocracy感満載の認識論のなかでやるしかない。だってこのシステムが存命してもらうことが前提なんだから。
その反対のサヨク的なのもその言説をそれた論はよっぽど考察しきらないと新自由主義なんて労働による人間疎外しかないでしょという紋切り型で終わる。まあ、どちらの立場にたつかはその依拠する学問と認識論次第ではある。

ただ、こういうやり方で生きていけるそれこそ新自由主義を強くサーフできる人ばかりでもないから、いっそこのくらい流動化するまで認めましょうまでいくと、救われない戦国時代感もあるわな。それこそそういう環境変化に適応できないからウツ、という流れからの尊厳喪失という事態になるわけである。

出口のないループのなかで、自己改革をしつくすか、それが出来なければアンラーニングするしかないだろう。その規定している環境を抜けても大丈夫なように自分の認識をほぐすしかない。ま、社会ステージによるんだろうけど、大事なのはこのツイートのようになんかいろいろと立場を変えるように動いてみることだろう。

ずっと50年いても大丈夫な人もいるよ。一定数。俺はそれができなくてこういうツイートみたいな生き方して来てラクな面も損した面もあるけどね。というわけで、橘玲を先人として尊敬している、という感じである。