Looking for a Sense of Authenticity

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

シニア社会の処方箋のなさよ

このツイートのリンク記事を読んだ。

問題関心のダイレクトな内容であった。いくつか記事から抜粋する。背景部分は抜き出していないので処方箋部分のみ。
bunshun.jp

日本ボクシング連盟山根明前会長や日大の田中英寿理事長の「田中・山根コンビ」のスキャンダルが世間の関心を集めている。ごうごうたる非難を浴びながらも、恋々と、権力に固執する姿には、呆れるばかりだ。山根氏...bunshun.jp
では、将来、「孤独」にならないためにどうしたらよいのか。まずは、徹底的に「"個"独」を極めることだ。「個独」とは、「個人としての独立・自立」のこと。短絡的に会社を辞めて独立しろ、ということではない。職場やSNSの「仮想つながり」に身を置いている限り、「孤独」の真のつらさを実感することはないだろう。望まぬ関係性や同調圧力に身をゆだねるのではなく、「個」としての独立を確保し、自分に向き合ったときに、人は自分の弱さに気づき、本当の「つながり」の重要性を再認識できるはずだ。そして、与えられた関係性だけに甘んじることなく、自らの意思で、居心地のよいつながりを主体的に作り出したり、選び取っていくことができる。
もう一つ、おすすめしたいこと。それは「鎧を脱ぐ」ことである。日本の会社というものは、競馬場に似ている。男性の「競争心」と「プライド」を掻き立てて、競争をさせる。報酬というニンジンの量は、ほかの馬と大した差はないのだが、「やりがい」というニンジンをぶら下げられ、気が付くと、ブリンカー(目隠し)をはめられて、何週も何週もひたすらに、走らされている。そうした競争環境の中で、まさに企業戦士と化し、プライドや、男らしさといった分厚い鎧をまとい、気が付くと、人と胸襟を開いたつながりを作ることができなくなっているというわけだ。「会社」という小さなターフの中で、「自立」した気になっていても、「社会」から「孤立」している可能性もある。
「しがみつくオジサン」は極端な事例だが、そうした人たちを生み出す"豊かな"土壌が日本にはあるということだ。女性も含め、会社という閉鎖社会に長らく身を置くすべての人の中にある、その「萌芽」を早めに摘み取る意識が大切なのだ。

さて、では迷える子羊、でなかった、迷えるシニアどうすれば良いものか。
検討要素として、橘玲の提唱する幸福の3大資本要素を手掛かりに考えてみる。

金融資産(資本)…自由
人的資本…自己実現
社会資本…共同体(絆)

(このうち、2の人的資本はちょっと多義的な印象。ただ労働力としての資本という解釈のほかに、自己実現という要素が含まれている。とりあえず、お金の問題は1として検討することにする。)

会社にいることで、職場のつながりという3の社会資本が得ることができる。2の人的資本も、仕事が自己実現的であればまあ満たされる。1の金融資産という点では、会社からの給与というもので得ることができる。

このうち、1のカネの問題が不安ということもあり、仕事にしがみつく、というのが庶民的な悩みと思っているのだが、記事にある山根会長とか権力者的な方々は1でなく、2とか3を満たすためにしがみつくのだろうなと思われる。

記事の論点はどうも「3.社会資本」の不足によりがちな解釈なのだが、マズローの欲求仮説よろしくカネとか生存の基本的なインフラが満たされていると思えないとなかなか2も3へと踏み出せないのではないかと。ということでこの記事にはもっとも根源的なカネの解決があまり見出せない。
そのために、収入多元化としてのパラレルキャリアということが注目されている面があろうが、切実なカネ問題としてベーシックインカムだの投資リテラシーだのという点は自尊心的な解釈以外に見逃せない点がある。

とはいえ、庶民としては、1のカネの問題が解決すれば良いのかというと、どうだろう。上述と矛盾するが、この橘のフレームはカネだけでも、絆だけでもアンバランスになることが橘自身も述べているが問題としてありそうだ。いわば、全体最適解を求めなくてはならないのだろう。

止揚的な処方箋としては、自らがなんらかの作り手となるという「発信」の観点ではないかと考える。市場経済的には起業という行為になるだろう。金銭的な欲求がそこまで高くないならば、必ずしも起業とは言わずともNPOでもボランティアでも良いが、自らが受益者のみならず発信していく存在であろうとすること。また、起業も必ずしも拡大志向の起業でなく小商い的な観点でも良いと思う。
作り手であるという自覚によって、2の人的資本、そしてそれを介する3の社会資本がつくられていくだろうし、その活動に金銭的な要素が加われば金融資産にも繋がる。必ずしもカネとならないかもしれないのが検討要素ではあるが。

まあ、企業社会で全てを満たすという発想はやめて、カネ稼ぎと自己実現、共同体の問題は必ずしも重ね合わせないようにするということが大事だろう。しかしながら、戦後日本企業社会のエートスとして、カネとともに2、3の手当てをすることが駆動源となっている。いわば、2、3を包摂する社会機能として(都市部の)企業社会は成立してきた。とはいえ、成果主義により2、3の幻想は保たれ得ない状況になってきているので、従業員側がそれをクールに捉えることができることが必要だろう。