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<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

【読書】社会教育主事がみた社会教育・生涯学習ー東京23区からの発信ー(荒井隆著)

もと大田区社会教育主事であった著者が非常勤講師として大学で教えていた際の内容をまとめたテキスト、ということで単なる体験談ではなさそうなので借りた。エッセイのようなものを想像してしまったが、ちゃんと体型だって社会教育のことが書かれている。タイトル勿体ない感じもちょっと受ける。とはいえ、教科書的な総論よりはニッチな内容が書かれていて、あまり俯瞰して社会教育全体を捉えるのには向いていない。具体的なイメージを知りたい際に読んでみるというのが良さそうである。
動機としては、生涯学習論を勉強してみるなかで、社会教育主事というものが実際にどんなことをやっているのか、当事者から語られているものをあまり見ることができなかったので、知りたくなり借りてみた。

ちょっとサマリーして、感想は最後にしるす。

目次
1社会教育の行政を学ぶ

  • 社会教育主事の資格
  • 社会教育とはなにか
  • 社会教育行政のしくみ
  • 「選択的な定着化」の考察
  • 地方ごとの社会教育行政の多様性〜選択的な定着化、東京23区の場合
  • 最近の社会教育行政の動向

2 成人学習について

  • 子供の学習と比較した成人の学習
  • 学習の提供主体
  • 成人学習の奨励策
  • 成人学習の実際

3 社会教育の団体を考える

  • 社会教育団体とはなにか
  • 法制面からみた社会教育団体
  • 社会教育法「大改正」と社会教育団体への補助金支出
  • 現代における社会教育団体と行政

巻末
23区の特色ある社会教育・生涯学習の実践
あとがき 索引

以下、サマリーを書き連ねていく。

サマリー

社会教育主事の資格

    • 社会教育主事は社会教育の専門資格。社会教育法で定められている。
    • 大学の単位で資格はとれるが、それは基礎資格。「任用資格」であり、配属されない場合は社会教育主事とはならない(なれない)
    • 教員か公務員の身分であれば社会人でも後から資格とれた。最近は民間人もなれる道が法改正で開かれた。
    • 1年以上、社会教育主事補を務めたのち、社会教育主事の有資格者に。
    • 主には役所の配属だが、第三セクターの財団や公社で社会教育や文化振興を担当することもある。民間企業の研修担当として有資格者が配置されることもある(筆者注:そういう例があるとはちょっと信じられないが、、)
    • 最近では、非営利NPOなどでも放課後の過ごし方や地域との関わりで資格を活かす可能性が出てきている

◆ここまでで所感

  • 社会教育主事の存在を40年近く知らなかったし、会ったことがない
  • にわかに民間にいるとか、NPOなどで活かしている人がいるとかは寡聞にして存じ上げぬ
  • 民間企業に至っては、大企業にはいないだろうなあ。かといって、中小企業でそういう教育投資を試みるケースがあるならぜひ知りたいとも思う

と、ここまでMediumアプリで書いてみているが、慣れたはてなブログのほうが書きやすい…そちらで書き連ねていこうかなと考え中。

↑ と、いうわけではてなブログで書き連ねていこうと思う。そちらのテキストをペーストしてみた。もともと書籍まとめをやっていこうとしていたわけなので。以下ははてな記法など使って追記していく。

他の本のほうが体系的なまとめがなされているので、それはそちらに譲り、この本ならではの記述のみを抽出したい。

社会教育とは何か

  • 戦前の社会教育…国民を国家国民のための動員として、教化するためのもの
  • 戦後の社会教育…1949年、社会教育法の公布施行に基づく

教育行政について

  • 地方公共団体は広域行政の都道府県と基礎自治体である市区町村にわかれる。
  • 教育行政は、福祉、保健、建築、土木などの各行政部門と並ぶ行政部門のひとつ。
  • 教育行政の作用はふたつ。

-学校や社会教育施設等を設置、維持管理する
-それらが行う教育、学術、文化活動を規制あるいは助成する
(ちょっと記載がニッチに及ぶので割愛)

選択的な定着化

  • 社会教育の諸規定の随所には「地方の必要に応じ」「予算の範囲内において」といった恣意的に各自治体が解釈する余地が多分にあり、それが施設数や活動などの社会教育の地域差(格差)をうむ原因となった

・・・概要把握のためとして読み進めてもわかりづらいし、なによりつまらない…ちょっとまとめ続ける意欲がなくなったのでサマリーはここまで。*1

(私論)社会教育になお残る疑問

社会教育という戦後の領域が、国家権力により侵食されてきて社会教育の独立性が骨抜きにされている、ということは学ぶなかで良くわかった。しかしそのことがなぜ問題なのか、ということが明確に理解できない点がなおある。ここをはっきりとさせたい。

紋切りのように出てくる議論は以下のようなものだ。

社会教育学徒でなく、個人的な一市民の疑問として

  • そもそも行政が行なっている社会教育ってどんなものがあって、それって市場化で損なわれているものなのか
  • 自己責任論による社会的排除といっても、それは主に福祉領域であり、社会教育の立場から批判するのとひもづくのか

やはり、どうしても当事者感が感じ取りにくいのだ。それだけ、新自由主義の中でのみ思考してしまう存在としての自分のロスジェネぶりを感じてしまう。

書籍の感想を書くと、具体的な筆者が行ってきた活動を通して社会教育のイメージが広がったことはメリットなのだが、やはり会社←→家庭という往復運動、たまに土日にレジャー、というサラリーマンホワイトカラー的な労働者にとって、社会教育がどのように関わってくるのか、生涯学習個人消費的な意味を超えて連帯やコミュニティ形成(まちづくり)の契機となり得るのか、に対する解にまで至っていないのではないかと思った。
つまり社会構成員(言い換えれば納税負担者)のマジョリティとして新自由主義におけるファイター(兵隊)である私たちにとって、目下差し迫った問題に対する処方箋を社会教育は提示できるのかということ。

学ぶなかで社会教育というジャンルはなかなかに理想主義であり、どことなく旧サヨク的な価値観が強いものであると感じている。そのこと自体に自分は価値は感じるのだが、アナクロ的でもあるとも思う。
とはいえ、昨今の「大人の学び」論とか、学び続ける必要がある知的基盤社会、というものに私が足りないと感じているのは、連帯とか、コミュニティ、包摂、つながり、関わり合い、ソーシャルキャピタルなどなど、旧来社会教育が目指してきた「市民性形成」に関連する諸要素であるとも感じている。
さてさて、どう社会教育はアップデートできるのだろうか。ラベリングされたイメージから逃れるべく、キャリアといわない企業内のキャリア施策のように、社会教育と言わない社会教育、というのが必要なことなのかもしれない。ま、コミュニティデザインという用語がそれに該当するのかなとも思う。

はてなブログかMediumかと、まとめ方法を検討しながらで付け足して書いたからあっちこっち感が増した。

*1:言い訳だけど、本の中にある著者のしてきた実践の記載には敬意をはらう。識字教育や障がい者教育は社会教育ならではの実践と感じたし、それがあることに社会教育主事の経験者が執筆したこの本の意義がある