Looking for a Sense of Authenticity

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

まなざしに管理される職場 ー大野正和ー

なにかの本で言及されていて図書館で読んだ(読んでる)。

まなざしに管理される職場 (青弓社ライブラリー (42))

まなざしに管理される職場 (青弓社ライブラリー (42))

青弓社の本はなんかたまに惹きつけられる。学生時代になんか読んだ気がする。家の棚には残ってないけど。

分野としては経営学の組織論分野の本と言えるだろう。しかし、広く社会科学に言及しており、社会学にも大いに依拠している。肝心の内容だが、若い頃に日本人の禁欲的な就業意識をもともとプロテスタンティズムと同じように捉えていた著者がそのころの研究会での関学の先生の指摘をもとに、サラリーマンやめてその後の大学院で研究を続けてたどり着いた「隣人によるまなざし」という点を描いている。
この「隣人のまなざし」を労使関係をベースにする従来の「垂直的管理」に変わる「水平的管理」とも表現したり、古来の「隣組制度」になぞらえてみたり、わかりやすいところではピア・プレッシャー同調圧力)と表現したり、なかなか象徴的な記載が読ませる。チームワーク、仲間、というものが孕む同調圧力を「まなざしによる管理」*1という視点から書いているのがオリジナリティをもたらしている。たしかに著者が言うように経営学ではこういうアプローチはあまりない。ある種分析にとどまらず臨床的とも言え著者の価値判断が強く出ている。それが面白さを醸し出している。いちおう、本としてはその日本流のマネジメントが海外に輸出されていて日本だけの問題でなく世界的な現象である、という感じで広がりを見せている。とはいえ、どうせならもっと現代の日本の職場の構造を読み解き批判する、という路線でつっきっても良いなと思った。そういう意味で、職場ルポ的、おっさんメディアへの掲載向きな題材だと思うのだった。

検索したら著者は亡くなっていた。あと、博論の指導教官が私も夏期講習で受けたことがある先生でちょっとびっくりした&論文テーマになるほどなとも思った。ざっくりいうと、マルクスとかヴェーバーとか旧来的な理論社会学を経営学に持ち込んだ組織論という感じだった。思想的であり、学会というか、経営学のコミュニティ受けはしないだろう。

で、感想としてもそうで、多分に思念的な内容なのがいささか残念ではあった。いや、これはこれで成立するのだが、実証的でないのが限界のひとつにある。量的に実証するいうジャンルではあまりマッチしないとは思うが、質的な描写がもっと読みたくなる。現場のフィールドワークとかエスノグラフィとか。研究内容が自己体験から帰納した論理構築であったり、多分に思念的なのである。

ただ、示唆は大いにあった。リアリティがあるというのが大いに読ませた。小声で書くけど、ハッキリ言って1on1ミーティングの力学はこれだ。どうしてマネジメントのツールになり得るのか、アンディグローブのインテルのソレと日本的人的資源管理下における1on1との違いはこの本を読むとわかる。厳密には上下関係のコミュニケーションであるから同僚とのピアプレッシャーとはちょっと異なるのだが、キーワードとしては配慮と忖度、ということになろうか。社会心理学で言えば、信頼社会と安心社会の安心社会の原理(山岸俊男)にも関連してきそうな話。荒い考察だけど、この切り口でも研究は出来ると感じていたのでビビッときた感じがあった。

読後感として、論文(学術書)とエッセイのあいだ、という感じ。力作だけど、著者の実存の置き所がどうも経営学者というところとルサンチマンを下地にした告発人というところとのあいだにあって、評論家になってしまっていたのかなという印象だった。

こういう思いを共有しても、私は、なんらか行為人でありたいなと思った。状況論的背景の心理学を学んだし、学問的背景とかキャリアもそうなんだなと内省した。私たちは、そんな職場で働いている。だが、「まなざし」から一時的にでも自由になる、あるいは忘れられるオルタナティブな場としてのアジールや相対化する場所を欲しているはずだから。

そんな時代の知恵は橘玲氏がクールに教えてくれている。社会資本的なところにばかり目を向けがちだが、経済的自由(人的資本、金融資本)の話も大いに大事である。

*1:まなざし管理=自己規制ともいえるかも