Looking for a Sense of Authenticity

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

職場と対話と忖度と

ちょっと燃え上がったので覚書程度に。スマホで書いたので疲れた。

 

だいぶ定着して意識高い人事とかマネジャーには普及理論的にキャズム越えな感じの職場の対話アプローチ。対話とか組織開発とかに関連して思うことをメモしてみる。リンク先記事に思うところがあった。

 

 

1on1の研究とか普及とかして、職場の共同性を検討することに疲れ果てたこともあるが、己のスタンスとしては、対話による合意形成論もほどほどに、会社以外の地域や家庭やサードプレイスとか、もっと多様な社会関係資本を育む方が良いのだという考えだ。原理的にキャリア自律をしえない日本のサラリーマンには、クールに職場にコミットしすぎないことがいまは必要なのではと思う。これはワークライフバランスの視点。

あるいは職場にコミット深めるにしろ、対話行為に期待しすぎず、もっとグダグタな、職場における他者との包摂性とかもっとリアルには近接性をどうつくるかという感じか。こちらはワークライフインテグレーションの視点。

どちらもありだとは思うがどちらが無理なく自分にとって本来感を持っていられるかは意識しておきたい。

 

ビジネスシーンにおけるダイアログの必要性みたいなのは既に何年も前に長岡中原の書籍で言われていた。

 

ダイアローグ 対話する組織

ダイアローグ 対話する組織

 

この議論はリーマンショック以降の時期だったりHRDの組織論的にもあまり語られていないテーマであって、マーケティング的にみてもスポットを付いていて有効だった。その後、ちょっとした対話ブームがやってきて人事部なるものがある規模の企業であれば対話とかワークショップとか試みようとしてうまく行ったり挫折したりはあっただろう。

 

記事は、ナラティブアプローチと言おうとも、コンセプト的には社会構成主義的に対話を以って共に働くメンバーと"真実"を共同構成しよう、ということで大元に変わりはなく、対話重視論は素朴すぎるようにも思えた。リクナビだからだろうが。

*1

 

職場で対話と言う際に特に意識したいのは上司部下の権力格差とかステータスの面。対話といっても、凝集性を組織の活力とする組織では、それは組織の規範を読むことや、教化され社会化されることの儀式でありゲームとなり得る。

広井の言う都市型コミュニティとしての組織体であれば、自立した個人の対話というものはクリエイションの行為となり得る。

 

コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書)
 

 



そこでは金子の言う強い個人が前提となる。

 

市場 (思考のフロンティア)

市場 (思考のフロンティア)

 

 

果たして私たちはそんな組織を有してるのか?企業に、組合に、自治体に。日大アメフトは象徴的だが、なぜあの問題が広がっているかのひとつに、結束型のソーシャルキャピタル感で繋がる凝集性の高すぎる同質集団と必然的に起こる組織内忖度ということが私たちの生きる社会に思い当たるからというのが大いにあるのだろう。ニヒルだがこの認識を捨てきれない。

 

そんな思いを飲み込んで企業で色々やるのも良いし、アンラーンできるならしても良いが、取りうる道は必ずしもビジネス書的なナラティブでなくても良かろう。そんな思いでいる。

 

蛇足。

安室奈美恵は二十歳の頃に産休で一年休んで今まで走れたのだと。星野源は30すぎての病気か。

自分と社会をメタに認識するにはある種の挫折に類する経験と時間が大切なんだろうと育休さなかに考える。

*1:あえていうなら、ナラティブということで語り手に焦点を当てたその人自身の歴史性や時間性の意味を込めたナラティブ要素という点を強調することもされているのだろうが