Looking for a Sense of Authenticity

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

2018/03/12育休スタートと橘玲の80’s

気づいたら、今年初の投稿となる。ブログタイトルを変えた。プロフィールも手直しした。

いろいろとそれなりに経歴も書いていたが、今の自分の気分ではないので匿名性を増した。飾り立てるほどのものはないが、示すほどのこともない。ただ、日常をつらつらと書いてみたい。

 

タイトルにあるように、育児休暇というものを取得した。あまり喧伝していないが、最長期間を取得するつもりだ。♂なのでキチガイ感もあるが、中年に差し掛かり、いよいよもって働くモチベーションも減退しきったからだ。とにかく、この期間では感覚を取り戻したい。きちんとフェルトセンスして、自分の感覚を取り戻し、幾ばくかの信頼が出来るようになりたい。

まわりを観察してみると、多かれ少なかれ、中年期になると男性は自己嫌悪的になっているように感じる。少なくとも自分はそうだ。何者でもないが、なにかで在りたい気持ちにケリをつける、そういう必要があるのだろう。

そんな気分で、本来感(Sense of Authenticity)というものを探求したい気持ちになっている。きわめて主観的であるが、これがはっきりしないと、仕事も生活も味わえない気がしている。仕事でいえばどんな職場に行こうと乾いた心は変わらない。そしてそんな心持ちでは生活だってつまらなくなる。ワークとライフはいまやバランスを超えてインテグレーションしないとやっていられないということだろう。

 

本来感とともに、腐りきった文体に瑞々しさを与えたい。もともと感性や感覚というものを大切にしたいと思って大学に行って本ばかり読んで過ごしてきた。そういうものがまだ自分にあるのだと感じたいし取り戻したい。

 

いまは、育児の立ち上がりとともに、しばし東京の中心部から離れて、武蔵野の生活をしている。出産後の里帰りみたいなものだ。街は文化的で、いくばくかスローライフである。書店もある、喫茶店もある。どことなく、人々も生活を大切にしている感じがする。少し前に流行った中央線カルチャーというやつだ。大学時代は総武線ながらに中野近辺でそんな生活をしていたから懐かしい。

 

今日から正式に育休なのだが、奇妙なシンクロがあった。積ん読であった橘玲の回顧エッセイ、80‘sを読んだ。

 

80's エイティーズ ある80年代の物語

80's エイティーズ ある80年代の物語

 

橘は、私よりもかなり歳上だが、過ごした場所、業界がとても良く似ていた。当然、彼のほうが自分よりも数段の濃い出版業界の経験を経ているが、高田馬場で文学部ライフを過ごしたこと、中小零細企業からキャリアをスタートしたこと、文学やポモ経由、いくらか思想的な青春時代を送って価値観や世の中の見方がそれに規定されていることなど、シンパシーを強く感じた。

読後は、やるせない感情が湧きつつも、しょうがないな、という温かみにも似た感覚が沸き起こった。全く不安は解消されていないが、安心感にも似た気持ちなのか、まさに本来感というか、俺ってそうだったような、というような気持ちになれた。

この先になにがあるかわからないが、探求の期間にしたいものと思う。ノイズと感じているので、ビジネスの情報源は少しずつシャットアウトしている。書籍も早いうちにそういったジャンルは一掃する予定だ。会社とは、人事の担当部署とのうすい連絡回路はあれど、一本の糸のようなもので、情報が相互に行き交わない、ベルリンの壁かのような関係性になっている。

長い人生だから、そんな期間があっても良いだろう。たまたまそれが、私の場合は子の誕生のタイミングであったということだけだった。

急に、気分は、星野源。それもかなり昔のアルバムを繰り返し聴いている。アコースティックな初期の感じが、武蔵野の雰囲気にマッチしている。娘といつか、アコギでこの曲を合唱したい。

グー

グー