古いブログとか日記を思い返す
なんとなく、書いてリハビリしたい感じなので二度めブログを書いて寝よう。
人のむかしのブログをさかのぼって読むことはすごい面白いことだ。
はてなに入る前、なおやさんのブログを読みまくった。技術のことは
わかんないけど、スゴイ人だと思って頑張って入社しようと思った。
重なったのは一瞬だが。いままた、人のブログをざざっと読んでいる。
いいなと思う。その人の物語がある。俺は主に学研まんが経由ながらに
偉人とかの伝記ものが好きだったのだが、きっとそういう意味合いで、
その人の歴史に興味が強いのだと思う。
自分はといえば、そこそこちょこちょこと書いていたが、
はてなに転職する際に、2004年くらいからちょこちょこ書いていた
はてなダイアリーがなくなってしまったことを思い出した。
なくなったというか、IDがわかりづらいということで、なおやさんが
いってたので、その場でおおにしさんに変えてもらったんだった。
以来、IDはしらべーる、でも英語で読んだらしらばーになってもうた。
id:tidoが教えてくれたはてな。思えば思想もエロもなにもかも
俺の知的源泉はtidoくんだったなあ。
世間の目を気にしすぎずに外化するということ
あまりかっこもつけず、思うがままに書きつける肥溜めブログを
未来の自分が読者として読むことは、とても良いモニタリングだ。
けっこういいこと言ってんじゃんって思うし、一方で、
成長しとらんな、同じテーマが永劫回帰かと思うこともしばし。
めっちゃ専門的な内容をきちんとメモとかノートに取る行為は、
それはそれで意義があるように思うけれど、人との物語をシェアしあう
行為と思えば、自分語りのナラティヴがこもったブログを書きつけることは
なかなかいいもんだとやっぱり思う。
そんで、それがはてなダイアリーが神ってた根っこにあるのかも
しれないですなあ。はてなダイアリーとか、そのころの経営陣とかメンバーの
思いとかはとても共有出来ない。俺はおそらく、最後までお客さんだったから…
でも、その場にあったもののマテリアルは、この学びとか、教育とかのオシゴトで
その強度に近づけられたら良いなと、たまに思い出すように考えることがある。