観て、感じて、場を築く
ボチボチと、書ける範囲で外化へと。
仕事の季節になった。GWがあけて、もはや遠い昔のようにも感じられる。
再び激しい学びの日々がスタート。念願の新しい担当プログラムも始まった。
ラーニングイノベーション論 | 慶應丸の内シティキャンパス
最初は、コンテンツサマリと気づきのシェアをと思っていたのだが、あまりそういう
気分にもなれない。例えば、今日は経験学習サイクルを学びましたーとか、野外での体験学習は、
非日常体験から、関係性の認識をぐっと変化するものだぜーみたいなことを書いても
ちょっと違う気がして、学びの内容のシェアみたいなことは意味があるのかなという気分。
この場が個人的な日記場であるし、プログラムで起こることは、
自分だけのものではないなという思いがあり、まだどんな言葉で紡いでいくか、決め切れない。
と、いうことで、セッションのイシューをどうのというよりは、きわめて個人的な、
facilitatorとしてのヒントになりそうなことを書き留めておきたい。私の好きな極私的語りで。
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人が変われるための環境をどう用意出来るか、これはまさにデザインする行為だと感じている。
快適な環境、学ぶ内容の構成、演出、伝えるタイミング、こういったソフトの中でも構成的な側面と、
もう少し、フラジャイルな心の面なんかもあるように思う。
自分自身が変化する過程だから、思い切ったことは言えないが、心のことを考えているうちに、
奇しくも「愛」という先達が残したワンワードにいたった。
ともにする人たちへの愛、その場への愛、構成するものへの愛、
丁寧に場を築こうと思うと、愛が無ければ出来ない。
この愛は、どこから来るのか。
母性的な包摂とも違う気がしている。
どちらかというと、責任感に近い思い。
共時的な体験が出来ることを大切に思い、損なわないようにすること。
Be here now.一期一会。ブログタイトルじゃないが、Carpe Diemだな。
良い場を築こうと思うと、エネルギーの萌芽を見逃さないようにしなきゃ、と
注意深くなる。そのために、しっかり観ようとする。感じるためのセンシングを高めようと、
起こっていることに集中する。この愛は、丁寧さとも言えるのかもしれない。
西村佳哲さんから、いのちに敏感、という言葉を聴いたことがあったが、
なるほど、こういうことなのかもしれないと思った。
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再帰性、自分はどうなんだ、お前が言えるのか、という考え方は、
とても有効だと思うようになった。一気に当事者としての視点に至る。
I hear and I forget. I see and I remember. I do and I understand.
という言葉を聴いた。孔子の言葉らしいが、体験学習の文脈ではまさにそうなんだと。
自分の言葉で意訳する。
自分ごとでなく、ただ聴いたことは、自分のからだをすりぬけていく。
その場を観察することで、そうかな、と思えることがある。
なにより、やってみる事で、実感してわかることがある。
やってみて学ぶことの連続で、変わっていくじぶんの身を体験している。
バズワードぽくてあまり言葉の意味を感じていなかったけど、
イノベーションってものは、人の認知に関していうと、
perception changeってことなのかもしれないなと思った。*1
学習とは、経験によって生じる比較的永続的な行動の変化、
ってことでいえば、学びとは即ちイノベーションとも言えるのかもしれないな。
だとすれば、真の学びに迫ることが、イノベーションであるとも解釈できる。
なあんだ、すべからくネーミングにembeddingされてたんだーってオチ。
*1:そういう意味では広告の役割はイノベーション創造だったのかもねと思う