しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

シンプルな気づき

純粋に人の数が多すぎないことがストレスレスにつながると思われた。人が少ないオフィスで働いてみての感想まで。

生きている実感

ほんとうに久々に感じたような感覚に。なんてことはない、懐かしさも交えて昔の旧友と話せたこと。広告時代の仲間とくちゃべっただけ。それでも一年以上会ってなかったから楽しい。いろいろお子さんもできたり状況は変わってる。でも、同世代的な連帯感が心地よい。

 

その気分で思いついてくるりを聴いたり、懐かしい京都住んでた時代に思いはせる。半年しかいなかったけど、酸っぱい経験しかなかったけど、懐かしく思い出される。関西に住んでいたころは良くも悪くも刺激があって人生を感じていた。通じないワードで極私的な言葉で言えば包摂感があった。あの頃を思い出して関西行ったりすみたいとかいってんのかもしれない。

 

昔を懐かしんでるのはダメだみたいな話はあるけど、いいじゃない。それも俺の資本。進化し続ける世界観なんて嘘くさい。時代から取り残されようが、心底の充実感を感じられるなんて滅多にない尊いこと。

 

隣の芝は青いというだけの話かもしれない。今より殺伐としたカネの世界にあるのが代理店だったりするのかも。とはいえ、そこで過ごした数年間はカラダはガタガタでも毎日がお祭りで楽しかった。もうそんなにして働けないかもしれないが、仕事が嫌いな自分でもそんな風に働けるという経験があったことは生きる励みになる。

 

今はそんな風に働ける予感がないから、やっぱり軌道修正なんだろう。おっさんになったから事故はしないように。でもちゃんと舵を切ることに意思を決めるように。[ ]

今日読んだ記事をメモしとく(集団主義とか組織のこと/自分を出すってこと)

にたような似てないような話だけど、アンテナがここによったのでログがてら残しておく。

「組織」を考える - 福澤ブログ

日本人は集団主義的だから組織での戦いには強い、という神話がありましたが、もうあまり信じる者はいない。今、あらためて「組織」が生成し行動するロジックと、それを踏まえた適切な運営手法について、深く考えてみる必要がありそうです。

あと副業とそれをとらえる組織集団の観点の記事。
mirai.doda.jp
からの

このように、個人のさまざまな「副業(複業含む)」に対する捉え方を聞いていくと、

「副業」をせずに自分の仕事だけに邁進する
外部での「副業」を本業の糧にする
副業ではなく複業として「副業」を捉える
など、個々人によって「副業」の活かし方、捉え方は一様でないことが分かります。

であれば、組織側は、こうした副業に対する捉え方、取り組み方を本人に委ね、情報漏えいや職権の悪用などをクリアした上であれば、自由に「副業」に取り組めるようにするのがあるべき姿なのではないか、とも考えられます。

とか
yasuyasu1976.blogspot.jp
あたり。

残業時間の話もそうですし、勤務体系の話もそうですし、社会保険その他(メインでの事業者を決めなければいけない、などなど)含めて、「成功してきた集団主義」をベースに設計されている各種の仕組みは、今後どのように変化していくのか?

とか。

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

信頼社会≒個人主義と安心社会≒集団主義ってみてみても示唆がありそうだと思った。
ダーウィンよろしく適応進化していくとしても、オールドタイプの覇権に対して、どうカウンターとるかとれるかってのは難しいわけで。

会社からすると、多様な”契約”で一律のおつきあいでないことも合理的である。お互いにとって。コミットメントの度合いを正社員とそれ以外だけじゃなく、正社員に限りなく近い(=安心が最低限?提供されうる)委託契約のように関わる時期とそうでない時期を行き交うこともあるだろう。やめても戻れるとか。まあ、出世とかの観点でいうと、一部のスーパー人間力ある人以外は労働力として見られて結局労使対立ってことになるのがリアルだとしても。個人がインディペンデントでやれる、まあ個人事業主としてだったらいいとこ取りの関係で企業と契約するのは充分リーズナブルだし(あ、これがアライアンスって考えのひとつなのかもだ。こりゃ日本の労働観からは出てこない。理解もしづらいわな)

ALLIANCE アライアンス―――人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用

ALLIANCE アライアンス―――人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用

コミットメントとかいうのは、就労に関する意識として、自己責任とか、人生へのオーナーシップってのはとても大事になりそう。で、いまこそ河合隼雄の日本人論も参考になるんではと思った次第。
中空構造日本の深層 (中公文庫)

中空構造日本の深層 (中公文庫)

母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)

母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)

あと、もういっこ、自分を出すことの話も示唆あった。
うえの記事で言及されてたブログだと
副業、複業とか、そもそも俺は何者か、とか | Youichi's Room

この記事のコメントとかその他コメント見ると、本業に集中できないから中間状態として副業やってる、と捉えてる人が多いように感じるけど、そもそもなんでひとつのことに集中する必要があるのかと。

本業しっかりやってたら副業の暇ないだろとか、そういう声もとにかくあがるけど、その発想自体がおかしくね?例えば会社員でも、週末PTA会長やったり、マンション管理組合長やる場合とかあるしさ。

あと本業に熱中してたら副業とかしないだろという声もあるが。それも本業を何と考えるのか、だよな。例えば会社でも新規事業やるじゃん、それと変わらんよね。

だから、そもそもなんで副業、複業がこんなにイシューになること自体、なんかみんな少し発想が凝り固まってる感じする。あくまで、副業とかなんだってのはhowの話でしかない。

とかにヒント感じた。
この記事読んでも
心をひらく鍵、の探し方 大宮エリーさん | 慶應MCC 夕学リフレクション

プレッシャーや失敗を力に変える。作品が1点もないのに個展のオファーが来る。豪胆さと、鮮やかな機転、豊かな発想の源は、ひとえに才能によるものだけなのか。大学(薬学部)では、仮説→実験→検証の訓練を積んだ。クライアントの問題提起に応え続けたことで解決能力が培われた広告代理店時代。だがそんな大宮自身に、実は「したいことは、特にない」のだという。そ、そんな。湧き出る欲求に突き動かされてというより、表現のアイデアはあくまで「問題意識」「責任感」によってしか発動されないのだという。しかるに大宮エリーという人は、徹頭徹尾、利他的な表現者であるといってもいい。観客が体験してはじめて成り立つインスタレーション(3つある鍵から直観的に選んでドアを開けてみるという展示は暗示的だ)や、ライブペインティングなど、大宮の展示には、参加者の心をじかにときほぐすものが多いのもその証左だろう。

なんか、せまくるしいドメインを決めるのでなく、いろいろとやってみたら良い、自我だろうが、それが責任感による利他的表現だろうがと。

リーダーシップやらとキャリアとつながりかけたのでメモした。
ちょっとそういうことを、自分なりのふらふらした感じで考えている。なかなか会社所属という形態と握手出来ないでいるもので。

ドメインがかわった(期間切れ)

ドメインがandragogyに変わって(戻って)しまった。プロプランを1年使っていたけどほぼ書かなくなってしまったので、もともとのブログドメインに戻ったと言う訳だった。
うーん、どうも続かない。たまに書くけど、書くことを中心のライフにしないと書き続けることもないんだろうなあと思う。なので、とりあえずこのままにする。思い出したいま、請求来ちゃってたけどドメイン契約も解約しておこう。

意外と書くことがない

せっかくiPadシステムを構築したのに、あまり書くことがない。カジュアルに書けることを望んでいたのだが、たいして書くべきこともないことに気づいた。ツイッターはだいぶ前にbot化しているし、Facebookも面倒くさいのでたいしてポストしない。隙間のつぶやき程度であるので。

いまもただ眠いから目覚まし程度に書き心地を試しているだけである。膝上でだらだらと書けるのはいいのだが、特に語るべきことがない時にはそこまで重宝せんなあというように思った。ちゃんと研究したりoutputする必要があることをつくらねばor見つけねば。