Looking for a Sense of Authenticity

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

多動

奇しくも昨年のホリエモンの書籍の概念と同じところに行き着いてしまった。時代の流れに俺もシンクロせざるを得なかったのかもしれん。

昨日成毛本(発達障害が最強〜)を読んでなんだか元気が出て、ひとつのことに集中してやり遂げるみたいな前提の決め事をやめ!と自覚したら楽になりつつある。そもそもすごく飽きっぽいし、継続してやり続けられたことが記憶にない。成毛ほどではないが、幼少の記憶も少ない。高校時代までの友達はわずかを除いてほとんど思い出せない。ADHDとは思わないが、まあタネはありそうで少なくとも自分とは別の世界の住人とは思えないのだった。アスペルガー傾向の人には憧れがあり、負い目のような気持ちもあるが。

あれもこれもやる。とりあえずやる。飽きたらやめる。またやりたくなったらやる、みたいな感じでいいのだと思う。そもそも別にルールなんかないので、自分にとって一番良いことをやれば良いのであればそうしてみたいと思っている。受験だろうが仕事だろうが育児だろうが読書だろうが映画だろうが旅行だろうがボランティアだろうがキャリアだろうが心理学だろうが都市開発だろうが散歩だろうがなんだろうが。

その時にやりたいことを味わい切ること。それが自分流のマインドフルネスということにもなるのではないかと。つんくNHKで言ってた。自分に嘘はつかず、自分のなかにある楽しいことをみつける、ということが大事なんだと。結局、いまを生ききることが大事なんだろう。

人と会いたい、がエネルギー値が低いので迷惑かなと思ってしまうこの頃

主夫業はエネルギー値が低い。いや、家事育児でいろいろとやる必要があってエネルギーを発揮しなくてはならないから低いというわけではないのだが、処理を超えて自分から物事に能動的になるのが難しいのかもしれないと思った。

今日は久しぶりにid:knagayamaと会えた。最近はご無沙汰なので久しぶりに会えるのが嬉しく妻にお願いして外出した。1時間ばかりお茶。仕事や日常生活のことなどをあれこれ話した、のだが、俺のエネルギー値が低いのであまり話しも弾まなかったかなと。なんだか申し訳ない気がした。日常いろいろあっても、刺激が少ないので、仕事をバリバリしている人と会ってもなかなか話題もなかったりするのだった。特に業務日のランチとか休憩中に会うと。土日ならまあ少しモードも違うのかなとは思うが。

最近、少しずつ人に会うようにし始めた。id:mtakano氏もそうだし、会社の人とか広告ロスジェネとやったホムパとかもそう。明後日はキャリア論の先生に会ったりする。来週は文春だ。ほっとくと誰にも会わないだろうなあと思うからそうしてきた。だが、会ったら会ったであまり話すこともない。まったりし過ぎていてエネルギー値が低い自分を自覚したりする。意欲が減退したのだろう。

育休開始から半年はいろいろと身につける必要もあり、料理やら家事やらノウハウやら、そこに時間をもらって受験勉強もしていた。だが、秋口に受験失敗してからは意欲が一気に減退して不全感とか無力感が高まるようになった。それが今まで続いている。多少、上向いてきたようにも思うのだが、日常業務以外に対象がないことに行き詰まりを感じてきたのだろうと思う。とはいえ、あまり仕事を再開したいと思えないのが苦痛ではある。きっと世の中の主婦のなかでもこういう悩みはあるだろう。仕事は別にしたくないけど、家庭だけというのもね、みたいな。時間の質が違うのだ。

ワークライフバランスは労働者の概念であり都市的な(urbanな)ものというように思う。もっと仕事と渾然となったようなワークライフインテグレーションが望ましいのだろう、が、高度化するホワイトカラーの仕事は単に仕事依存のワーカホリックと変わらないと思う。経営者は畢竟インテグレートしたものにならざるを得ないが、労働者でそういうことは高プロでもない限りなじまない。(名ばかり高プロはもっとなじまない感がある)
まあ、農家とか地元コミュニティの中でのコミュニティビジネスみたいなものがもっと望ましいワークライフインテグレーションなのだろうが、そうもいかぬ。話が広がり過ぎてきたが、バランスよく楽しく生活するというのは少なくとも今の自分には難しいことで、それで不全感がぬぐえぬということは今日の貴重なミーティングでも感じたことだった。ま、予感はしていた。けど、もう少し時間ときっかけは必要だろうとも思う。あと、秋冬はそんなもんとも思う。生命体だもの、冬眠の時期なのさ。

でも、多動性悪くないの成毛本を読んで、なんだかエネルギーが少し出た気がしたのでメモしておこう。ADHD的な人のほうがこれからはいいかもね、という半自伝本だった。俺にも多動性の傾向は少しはあるけど、悪しき県民性としている忖度力が高いので、勝手にやりたい気持ちとまとめたい気持ちの板挟みで本当にめんどうくさい。なんとかしたい。でもどうせ毎回こういうことになるので、いっそもっと勝手にやれたらいいのかなと思い始めた。自分でブレーキかけてしまうのだけはもう少しなんとかしたいものだと思う。衝動に任せて書いたら結構長くなった。

明治通りから漱石記念館まで

日記にしては長くなってしまった。それだけ心が動いた日。

今週は週の半ばにひとりの時間ができたので、家事をそこそこに久しぶりに友人に会う目的で外出。活躍中のid:mtakanoさんとお食事した。話の流れでどんな仕事がしたいの?と聴いて、スッと世の中のためになる仕事がしたい、仕事の中身はこだわりはないという発言を聞いて結構ドキッとした。俺にはそんな考えはこれまで持てなかったから。悪態つく彼だけど、芯がピュアなんだよな。
でもちょっと思い出してみると、まさにこの頃、不全感の原因を考えていて、極私的過ぎるミーイズムが精神を食んでいるような感覚になっていて、パブリックなことを自然に生活でできないかなと思っていたので、いっそうドキッとしたのかもしれない。

その前後で、めったにいかない明治通りを歩いた。テナントは様変わりだし、ウィーワークなるものも外からだがはじめて目にした。でも、ポールスミスとかヒスグラとかロイヤルフラッシュとか昔からあるお店もあったりした。変わらないものもちょっとはある。ダイヤモンド社は相変わらずの場所だし。未だに岸田(岸辺?)アドラーを垂れ幕にしているのはエリア柄なのかね。
流行ウオッチっていうと言い過ぎかもしれないが、街の定点観測は大事だね。原宿界隈はボロい昭和なマンションもあって、まあよく言えばヴィンテージなんだろうけど、アキバとは違った意味でごった煮なところだなと思ったりした。

ランチ後はちょっと溜まっていた読みものをしようと思って大学の図書館へ。都市計画の本なのになんでか社会学のコーナーにあった。都市論(都市社会学)にまた回帰してきた。工学系は全然学問体系が違う。作法がわからない。でもそれがちょっと面白い。心理学みたいに心理統計とか質的なお作法はそこまでなさそうで、フィールド観察と先行研究レビューが中心というオーソドックスな感じかな。

その後は気になっていた新宿区立の漱石記念館へ。なんどか前を通ったけどもともとイメージしていた場所とはぜんぜん違う場所にあった。勝手に夏目坂の上だと思っていた。思った以上に良かった。森鴎外の記念館もだけど、そんなに華美ではないけどじっくりと味わえる感じがある。絵とか、博物館は苦手なのだが、本とか文豪はいけるのかもしれない。久しぶりに漱石を読み返そうと思えた。真面目に読んだことはあまりない。学生時代にちょっとだけ、か。漱石の生涯とか、時代ごとの作品解説とか、関連する人たちとかも展示されていて、結構半日くらいじっと見ていられそうだった。夕方に行ったから見られたのも1時間程度だったのだが。また行こうと思う。

散歩しながらいろいろと考えた。いつもそんな感じだけど。
そろそろ育休からの復帰に向けたマインド調整に入っていくので、リハビリ的に少しずついろんな人に会うようにしている。良くも悪くも俺の日常は、日常過ぎてサラリーマンの非日常だ。毎日がホリデーだから。そんな中で働いている人に会うと、複雑な感情が出てくる。育休当初は感じなかった感覚。
ありがちだけど、やっぱりあったのは、仕事が出来ないかもなあという不安。スキルというよりは、マインド(というかモード)の切り替えがついていくかな、と。また、働くことばかりになって、自分を失ってしまいそうな怖さがある。仕事だけになってしまうことの怖さ。育児家事はあるから、より窮屈になってしまうのかなという恐れもある。今はまだ、ちょっとは時間がある。ここは、妻に感謝。最近当たってしまってごめんだけど。

復帰後、相対的になれるようなものを今のうちに見出しておきたいという焦りがある。趣味?研究?それがわからなくて無駄にイライラしている。結果、家事育児にマインドフルになれなくて自己嫌悪になったりする。その逆でなにも考えずに見たいテレビを見ようとして録画のバラエティ見たり、いっそ見直そうとロンバケ見たり、それはそれで楽しいんだけど、のめり込みきれない感じがある。

気づいたのは、自分のことばかりの世界になってきてるなあということだった。家族(妻、娘)はいるんだけど、家族のあいだだけ。世界が閉じてしまっている感じなのかもと。なんか、専業主婦のハマる世界と一緒だな。まあ専業主夫だからな。シンプルには、家庭、職場以外のもうひとつの関わりを持ちたい、ってことだけなのかもしれない。別に大げさなものでなくて、友達ということでいいんだけど、大人になってからの友達づくりは難しい、ということもあるのが悩みでもある。

直接的には関係ないが、河合隼雄が解題した中空構造って、「なにもしない」対立(対比)しているもののあいだの存在が実はキモだということだったから。ツクヨミの存在とかが代表例で。バランスというとAとBの均衡をというイメージになるけど、二項対立にならないような第三の、サードのものってのが大切なのかも。ほら、2点だと単なる線分で、3つの点があって三角形という図ができるというかね。なんか上手く言えないね。

Eテレの番組が良かったのでインスピレーションを得たのだった。

河合隼雄スペシャル 2018年7月 (100分 de 名著)

河合隼雄スペシャル 2018年7月 (100分 de 名著)

中空構造日本の深層 (中公文庫)

中空構造日本の深層 (中公文庫)

ずっと開かず読めてない中空構造…

ほんこれ

 

経営会議みたいな全体の場で個別のそういう話をするべきではないですよね。でも当然、人間なので仕事においても愛情を求めたくなる時もある。

なので、「1on1」みたいな個別面談の時間をつくって、「実はしんどいんです」とかを存分に言っていいよ…としている。つまり「愛情側」に特化する時間をつくってるんですね。

会社側がそういうふうに意図して制度を設計してるといいですよね。