Looking for a Sense of Authenticity

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

20000歩とセンチ

早稲田から馬場、東中野にかけて徘徊。友人とは早稲田界隈をランチとお茶。ランチは15年前から入りたかつた店に。オムライスがうまかった。

お茶タイムはモジョコーヒー という店が流行っているみたいで飲む。アイスコーヒーというかbrewとかいうの。暑い日だし美味かった。ここの神楽坂店は星野源ちんの対談で出てるとこかな。店員は若くてスカしてる感じでしたが。あと、ニトロとか窒素ガス入れるメニューのってるのに原宿店にしかないんだって。消しとけマジでと思った。

友人と別れた後は何気に高田馬場へ向けて散歩。ブックオフミスチルDVDを買うなど。アメトークミスチル芸人の影響である。音楽映像ものはちょっとずつ溜まってくな。

最後、昔住んでた東中野に向けて歩く。小滝橋周辺は裏道は6年住んでてもついぞ通らずなので新鮮だった。1番長く住んでたのにな。いろいろと店が変わってたりセンチになりつつ、住んでたマンションの向かいにあった、珍しい苗字の家が建て替え中でいっそセンチに。私の苗字と同じなのだった。おそらく日本に1000世帯あるか程度の苗字なので、思い返せば運命的にも思えていたのだなと。初めての上京でそういう場所だったので。

バブルが終わったという日本でも、いろいろと街は変化しているのだなと。建て替え、作り変え、テナント変わり、昔を懐かしむこともたまには大事だろう。昼間は暑い夏日だったけど、涼しくなった夕方に、靴擦れを共にしながら、足を止められずに歩いた日だった。

再起動中

しばらくぶりの更新。つまづきがあり、一ヶ月ほどそれ以来立て直しの最中。迷いが増えた。シンプルなストーリーでやっていけそうと思っていたが、人生なかなかそうはいかないもののようだ。朝から晩まで家事をしたり読書したり散歩したりワイドショーみたりしながらも考えている。最近の興味は自己パーソナリティ論。一周まわって大学生みたいな興味関心である。

育児は順調。そんな中でも子供はすくすくと育つ。からだの発達はちょっと落ち着いたようだが、感情の発達があるようで、不満や喜びを表すようになった。七ヶ月でおすわり→ハイハイへの移行期という感じ。教科書どおりの時間軸ではあるようだ。

しかし、子を持つ身になって親という親をつくづく尊敬する。いつも職場でいるあの人も、道をすれ違う人も、子供がいてあれこれのドラマをもっている。もちろん自分の両親も。声高に育児をさけぶこのごろの社会も、そうでない父親が働くことが今以上にスタンダードだったころも、誰でもが喜びも怒りも悲しみもあれやこれやを育児をしながら感じてきたのだろう。

多元的な社会になって性役割も家族も何もかもが自由で再帰的選択を経る社会になって出産や結婚が一般的なライフコースたり得ない社会ではあるが、そうはいっても子育てにまつわる経験は人間の成熟に結構多いに関わっているのだろうと思う。育児する人間の発達としてのナラティブ研究とかも面白そうだ。すでになされているとは思うけど。質研は面白いけど、量的な検討よりも沼化していくだろうと修論書いてて思った次第だった。いずれまた、もう少し研究モードに入ってみたい。ちょっと今は小休止。

明日は久しぶりに早稲田で会合。最近は散歩でよく行くのだが、やはり好きな場所である。思い出も多いし、お店がまだまだあって学生街というものを感じられる。閉店した店も多く出てきているのが残念ではあるが。久しぶりに徒然としたダベリをしたいものと思う。

橘玲のツイート覚書より

最近、好きな橘氏による日本人の仕事へのモチベーションなんて全くないのにね、論がさかんなので、なかでもクリティカルなやつを貼っておこう。いつも指針にしてます。



まあそうだよね。
ロッシェルカップだかが、書籍で書いてたことだけど。

しかし、企業共同体構成員からの考察なんて、バイアスだし、その反対もそうで。橘とかカップとか門外漢だったり外様だったりしないと、御用の経営学者は企業の生産性を高めるとかコミューナルなものすら生産性向上に寄与しますみたいなmeritocracy感満載の認識論のなかでやるしかない。だってこのシステムが存命してもらうことが前提なんだから。
その反対のサヨク的なのもその言説をそれた論はよっぽど考察しきらないと新自由主義なんて労働による人間疎外しかないでしょという紋切り型で終わる。まあ、どちらの立場にたつかはその依拠する学問と認識論次第ではある。

ただ、こういうやり方で生きていけるそれこそ新自由主義を強くサーフできる人ばかりでもないから、いっそこのくらい流動化するまで認めましょうまでいくと、救われない戦国時代感もあるわな。それこそそういう環境変化に適応できないからウツ、という流れからの尊厳喪失という事態になるわけである。

出口のないループのなかで、自己改革をしつくすか、それが出来なければアンラーニングするしかないだろう。その規定している環境を抜けても大丈夫なように自分の認識をほぐすしかない。ま、社会ステージによるんだろうけど、大事なのはこのツイートのようになんかいろいろと立場を変えるように動いてみることだろう。

ずっと50年いても大丈夫な人もいるよ。一定数。俺はそれができなくてこういうツイートみたいな生き方して来てラクな面も損した面もあるけどね。というわけで、橘玲を先人として尊敬している、という感じである。

歳をとった

今週歳をとった。もうすぐ大台だ。その日に慢性的な臀部の痛みで久しぶりに保険適用の整骨院にいった。数年に1回はある。育児だっこのダメージが積み重なっていたようだ。暑かったしね。

タンタンと日々過ごしているせいか、あまり歳をとったことを意識しない。人にもあまり会わないから、そういうもんだろうとも思う。

いろいろと書きたいことがあるようなないような、ちょっとはあるんだけど、いまひとつのことに集中しきっているので、それが落ち着いた頃にでもまた書いてみよう。

それにしても、デタッチメントが過ぎてmessengerすら通知が時間差で届く始末だった。実際、よのなかのスピードはめちゃくちゃだから、それくらいでいいんだけどね。

SAYONARA Hatena Diary

書き連ねたダイアリーをどうするか迷うが、閲覧し続けられるならば、それなら良いかとも思っている。

決して熱心なダイアリーの書き手ではなかったが、大学時代の親友からはてダのことを聞いてちょこっと書いていた*1

個人的にはグループの存在が気になっている。消えて欲しくないし、アップデートしてくれたら本当に嬉しい。それこそはてなブログをベースにしたグループウェアになるならば最高。何年も思っているが、いずれそういう時がくるかも、と少し思っている。特に今回のリソース集中という意思決定の背後に構想があることを思いたい。

しかし、それにしてもなんだかんだでずっと続けて使っているサービスははてブはてブロ程度でもあるな。

*1:それは、入社後にID変更で移管してもらう際にどっかへ消えてしまった。多少惜しい気もするが当時も今もそこまでではない程度の執着ではある